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魔法にシステムは必要か

半分正しいでしょうが、半分は作家のせいです
 興味深いインタビューがありましたので、転載。

 原文は読んでませんので翻訳に怪しさも感じますが……、米ファンタジー作家で『空の都の神々は』の作者であるN・K・ジェミシン氏が、「魔法」と「魔法を変えたもの」について書いたコラムです。

 確かに魔法の理由づけをしたがる作品が増えて来ているのは事実ですし、求められてもいます。

 ただ、これは筆者達が魔法をなんでもアリになる世界観で作品を作れば良いだけのお話です。魔法を論理的に見せる場合のストーリー構成は探偵物の謎解きと同じです。魔法を神秘として見せるなら童話の構成です。単純にカテゴライズする自分もどうかと思いますが、ここは作者のサジ加減でしょう。
 魔法に公式や数字を割り当てる作品があっても良いと思います。確かに『リング』は理由づけをした途端に冷めました。神秘表現の伝統を受け継ぐ人も必要なのも確かでしょう。

 日本の漫画での魔法のポジションを考えますと……『とある~』は魔法を解決の手段にしていますので、比較的理論的に進めます。『なのは』は砲台であり戦力表現です。『エルフを狩るモノたち』はファンタジー世界の異質性を表現するための道具なので何でもアリです。『ファイブスター』はチートを楽しむ漫画ですので何でもあり。あそこに理論を求める読者はいないでしょう。こうやって見ると色々なポジションの作品があり、何でもありの魔法作品もあります。

 数字的な楽しみは筋の通し方、伏線の回収。神秘的な楽しみは力任せの解決でしょう。確かに、魔法に神秘性を持たせる事で読者の心理的爆発力が格段に大きいのは事実です。こちらの方が心に残る作品が多いでしょう。しかし、力任せ感を見せる為に盛り上げ、緊迫感を出し、神秘的に見せるには作者の表現力が必要となります。

 神秘を描く技量を持った作者が減った事に対する懸念というのが、このコラムの真意ではないでしょうか。



魔法にシステムは必要か ― 西洋ファンタジー界に起こりつつある異変
   (2012年6月26日(火)0時40分配信)

充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない。
―アーサー・C・クラーク


充分に分析された魔法は、科学と見分けが付かない。
―米コミック『ガール・ジーニアス』のアガサ・ヘテロダイン(クラークをもじったSF作家ラリー・ニーヴンの言葉をさらにもじったもの)

ラララーなんにも聞こえない。
―私

これは愚痴であって、文句ではない。私は怒ったときは文句を言うが、今は不満で不機嫌なだけだ。ファンタジー作家には面倒なことに、どうしても従うべきルールがあるらしい。従わなければファンタジー警察に捕らえられて、冷鉄の鉱山で重労働をさせられるのだ。たとえば、魔法には法則がなくてはならないという声がよく聞こえてくる。論理的でなくてはならない、制約や結果がなくてはならない、エネルギーの交換が、物語内での一貫性が、明確な因果関係が、徹底的に検証された法則と、それに伴う反復可能な結果が...

ちょっと待った。

私たちは魔法の話をしてるんだよね? 神秘の力、ビヨーンとかボワワーンとか、人智を超えたアレだよね? 何よりもまず、科学ではないよね? 私は時々わからなくなるのだ。ファンタジー小説の読者が厳格に作られた魔法システムを褒め称える(「システム」という言葉については後述)、その時々に私は考える。なぜこの人たちはファンタジーを読んでいるのだろう? と。

もし彼らが科学に似ているかどうかで魔法の良し悪しを判断したいなら、素直にサイエンス・フィクションを読めばいいのではないか? サイエンス・フィクションでも魔法っぽいネタ(超能力など)は充分楽しめる。ファンタジーは体裁だけでなく、基本的前提においても、もっと違うものを目指すべきではないのか? 

なぜなら、これが魔法の話だからだ。それは科学では行けない場所に行き、論理をねじ曲げ、テクノロジーにウィンクし、私達がフィクションの世界を覗き込んで自分の世界とは全く違った何かを見たときに感じる「センス・オブ・ワンダー」(不思議な感覚)で私達をいっぱいにしてくれるもののはずだ。世界の多くの文化において、魔法は生と死にまつわる信仰と密接に結びついている。生と死を理解する者はいないし、できると思う者もまずいない。魔法とは神または神々の成せる業だ。

それは大地の息吹であり、世に在るものの副産物であり、森の奥で人知れず木が倒れるときに働く力だ。誰もがそれに触れる幸運を、または不運を得られるわけではない神秘だ。人の信念や、眼に見えないものの気まぐれや、無慈悲な言葉によって乱されるものだ。そして、筋が通っていなくてもいいのだ。実際筋が通っていない時の魔法のほうが、私はかっこいいと思う。

昔、英語のファンタジー小説はそれがわかっていた。昨年、ル=グウィンの『ゲド戦記』の読書会に参加する前に同シリーズを読み返してみたら、ゲドがロークで学んだことのどれひとつも全く筋が通っていないことに、私はショックを受けた。彼らの魔法は名前がすべて。物の名前を知るために、魔法使いは充分な経験を積んでそれらを理解し、自らを先入観から解放し、そして...あとはうまくいくよう願いながら一生懸命祈るしかないらしい。なぜなら魔法は、同じ結果が繰り返されることも予測できることも決してない、いちかばちかの実験だからだ。

魔法が使われる度毎に何が起きるのか、最も経験を積んだ魔法使いでさえ、それまでの知識から見当をつけるだけで精一杯なのだ。しかも、使用する者が変われば魔法も変わる。それは経験的ではなく直感的なもので、直感の強い魔法使いならその場の思いつき以外の何物でもない、推測や飛躍した信念で呪文を編み出してしまう。それに感情も重要だ。魔法に間違った感情を持ち込めば、すべては槍に姿を変える。ル=グウィンはそれを美しく描いて見せ、私はその虜になった。なぜなら、魔法とはきっとこうだと私が思う感覚がそこにあったからだ。

また、行き当たりばったりな奇妙さがあったトールキンの魔法も然りである。『指輪物語』の魔法は、ある時は魂を溶かし込んだ合金で指輪を作ること。ある時は暗黒の言葉を身につけ、暗黒の種族に話しかけること。ある時は特殊な棒を特殊な方法で振りかざし、大きな声で叫ぶこと。または、尖った耳を持って生まれること。魔法に抵抗できるとは、毛に覆われた足で生まれること。それは有機的で世界に溶け込み、まったく捉えどころがなく、そして素晴らしかった。

トールキンやル=グウィンから現在までの間に、何が起こったか。「ダンジョンズ&ドラゴンズ」(以下D&D)だ。D&Dは現代のファンタジー読者に多くの責任がある(私はこれをD&Dファンの一人として言う)。システム化する必要のない、してはいけない実に多くの物をシステム化してしまったのはD&Dだ。種族、人種、性別による差別と決めつけ主義、キャリア選択、死亡率。もちろんD&Dは長年の間に良くなっているし、これらすべてはD&D以前のこのジャンルにも確かに見られた。だが少年少女とその他の諸君には覚えておいてほしい。システムは馬鹿げた考えに拍車をかけるのに極めて効果的な手段だということを。

なぜならシステムには自己を補強する力があり、何かが論理的または倫理的に疑わしいときでさえ、その内部では整合性が保たれるからだ。人間の脳はそう働くようにできている。ある事象があるパターンで充分な回数発生すると、私たちは考えるのをやめてマクロ・モードになる。すると突然、「もちろんオークは悪者に決まってる。だってオークなんだから」と言うことに何の疑問も感じなくなるのだ。または、「もちろん魔法は論理的であるべきに決まってる。だってそうでなければ、どうやって数値的に、しかも良いチーム作りを促す公平な方法で、魔法の効果をシミュレーションするの?」

数量による公平さとチームの育成を気にかけるのは、ゲームの論理だ。魔法にゲームの論理を当てはめてはいけない。だってこれは魔法なんだから。

(中略)

私の苛立ちのきっかけになったのは、最近、複数のイベントで作家のタマゴたちと一緒にワークショップを手伝ったときの出来事だ。私が見た未来のファンタジー作家の彼らは、魔法システムについて自ら進んで苦しみもがき、ルールやら力の供給源やら魔法保存の法則やらに、細心の注意を払っていた。もしいつか作品が出版されることになったとき、魔法システムをファンタジー警察にボロクソに言われるのを恐れているのだ。

なかにはプロットやキャラクターを考えたときよりも、ずっとずっと多くの時間を魔法システムに費やす者もいる。悲しいことにプロの作家でも、すべてをなげうって仕組みだけに集中しました的な作品をたまに見る。さらに悲しいことに、それに大喜びする読者がいる。まるでストーリーにとって大事なのは、魔法システムだけであるかのように。

ファンタジーとはそんなものか? プレイヤーガイドに薄っぺらく書かれた物語でいいのか? それがファンタジーのあるべき姿か? きっちり構成された魔法と公式と数字なのか?

もちろんそんなはずはない。ファンタジーにはもっとずっと多くのものがあるし、あり得るし、あるべきなのだ。だから神秘的で、馬鹿げていて、奇妙で、めちゃくちゃカッコいい魔法を見せてほしい。それで論理はほどほどに。私たちは科学をやってるわけじゃないんだから。

(N・K・ジェミシン)

【戯言】
 同人誌の描きやすい作品の方が心に残りやすいという部分にも通じる物があるかもしれません。

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